東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)31号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨および本件審決理由の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは、当事者間に争いのないところである。
(審決を取り消すべき事由の有無)
二 本件審決は、優先権主張の基礎をなす仮明細書謄本の記載内容の認定を誤り、エチレンを出発物質としてエステルをつくるという本願発明の構成部分が明確に示されていないとして優先権の主張を認めないため、同一発明につき先願があるとの誤つた結論を導いたものであり、違法として取り消されるべきものと判断する。すなわち、
成立に争いのない甲第三号証(一九六〇年英国特許願第三三二八五号仮明細書)には、つぎの1ないし13のような記載がある。
(一)先行技術について
1 パラジウム化合物を含む触媒と酸化還元系との存在下に酸素を用いてエチレンのようなオレフイン類を酸化させることは、既に提案された(二頁二行~四行)。
2 この方法により、エチレンを酸化してアセトアルデヒドを生成でき、また、それより高級なアルフアーオレフイン類を酸化してケトン類を生成できる(ethylene maybe oxidised to acetaldehyde while higher alphaーolefines maybe oxidised to ketones)(二頁七行~九行)。
3 この方法の短所の一つは、エチレンよりも高級なアルフアーオレフイン(a higher alphaーolefine than ethylene)を用いる場合に、その酸化生成物中で酸素が末端の炭素原子よりもむしろ末端にない炭素原子に結合されることである(二頁九行~一二行)。
4 この反応を溶剤として氷酢酸の存在下に行なう試みがなされたが、酸化生成物は得られなかつた(二頁一二行~一四行)。
(二)当該発明について
5 しかしながら、カルボン酸を存在させながら、反応条件下でイオン化するようなカルボキシレートを配合しておくと、反応を起こさせることができる(三頁一三行~一五行)。
6 本発明によると、カルボン酸および反応を促進するために十分な量のイオン化することができるカルボキシレートの存在下に、アルフアーオレフインを金属の塩と接触させる工程からなるエステル類の製造方法が提供される(二頁一六行~二〇行)。
7 前記の金属は、前記のオレフインとともに錯化合物を形成する能力を有するものであり好ましくは貴金属である(二頁二〇行~二二行)。
8 本発明の方法で用いられる触媒は、塩化物のように無機塩の形であるのが好ましく、また、その貴金属はパラジウム、白金、銀、金またはロジウムであるのが好ましい(三頁一行~四行)。
9 酸化還元系を反応混合物中に配合することもでき、これによつて貴金属の沈澱が防止される(三頁二一行~二三行)。
10 本発明の方法は、室温でも、あるいは用いたカルボン酸の還流温度でも、あるいはその中間の温度でも実施できる。上昇された圧力は必ずしも必要ではないが、多分有利であろう(三頁二七行~三〇行)。
11 ある場合には、本発明の方法を少量の水の存在下に行なうのが好ましい(三頁一九行~二一行)。
12 既に論じたところの本発明の特定の応用、すなわち出発物質としてnーオクテンー一を用いた場合の応用からつぎのことが明らかである。製造されたエステル類は少なくとも一部が、また、多分その主要部分が一つの末端の炭素原子に酸素原子の結合されているようなアルコール類から誘導されたものであることが明らかである。したがつて、本発明の方法は、この酸化反応で導入される酸素が、末端にない炭素原子よりもむしろ末端の炭素原子に結合されるようにして、二個よりも多い炭素原子を含むオレフインの酸化を行なう手段を提供する(四頁八行~一七行)。
13 本発明で製造されたエステル類は、不飽和アルコール類のエステル類の若干量を含むことが多い(五頁六、七行)。
これらの記載によれば、出発物質をアルフアーオレフインとする点をしばらくおけば、本願発明の構成部分のすべてが明示されているものということができる。
よつて、右にいう「アルフアーオレフイン」の語の意味を検討するに、いずれも成立に争いのない甲第一号証、乙第一、第二号証および弁論の全趣旨によれば、右仮明細書提出当時、この語が三個以上の炭素を有するオレフインの一種であるか、それとも炭素二個のオレフインであるエチレンを含むかは明確でなかつたことが認められるから、仮明細書の記載からそれが如何なる意味で用いられたかを明らかにしなければならないところ、仮明細書中の同一の語は原則として同一意味に解されるべきものであり、前記認定の先行技術に関する説明の部分において、「エチレン……それより高級なアルフアーオレフイン類」(2)および「エチレンよりも高級なアルフアーオレフイン」(3)の記載があり、この記載によれば、エチレンは「アルフアーオレフイン」の一員であることを前提としていることが明らかであり、前顕甲第三号証には、当該発明の説明に関する部分において、この語を右と異なる意味に用いる旨のなんらの記載もなく、また、先行技術と当該発明とは原告の主張するような共通点を有する極めて近似の技術であり、先行技術は当該発明の理解を容易にするために記載されているものであるから、当該発明に関する「アルフアーオレフイン」の語(6)もまたエチレンを包含する意味に解すべきものといわなければならない。被告は、前記認定の12の後半の部分に基づき、当該発明の出発物質としての「アルフアーオレフイン」の語はエチレンを含まないと主張するが、前顕甲第三号証のこれより前の部分、特に右12の前半の部分を参照すると、右主張の部分は当該発明の一つの実施態様を示したものにすぎず、それに限定する趣旨でないことは明らかであるから、この主張は理由がない。
以上のとおりであるから、右仮明細書により本願発明の要旨がすべて明確に示されているものというべく、本件出願は、イギリス国における前記特許出願の日である一九六〇年(昭和三五年)九月二八日から優先権を主張しうる期間内に出願されたので、成立に争いのない甲第六号証によれば昭和三六年五月二七日に出願されたことが認められる特願昭三六ー一八七六五号特許願により不利な取扱いを受けないものといわなければならないにもかかわらず、本件出願をその後願として本件審決は、この点において違法があるというほかはない。
(むすび)
三 以上のとおりであるから、その主張の点に違法があるとして本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、その理由があるものということができる。よつて、これを認容する。
請求の原因
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、つぎのとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和三六年九月二八日、「エステル類の製造に関する改良」につき、一九六〇年(昭和三五年)九月二八日および一九六一年(昭和三六年)三月二三日イギリス国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願(特願昭三六ー三四六八三号)をしたところ、昭和四三年一月二六日拒絶査定を受けたので、同年五月二一日、これに対する審判の請求をし、昭和四三年審判第三八九六号事件として審理されたが、昭和四五年一〇月二日、「本件審判の請求は、成り立たない」旨の審決があり、その謄本は、同年一二月三日原告に送達された(出訴期間として三か月を附加)。
二 本願発明の要旨
パラジウム塩を含む可溶性の触媒と酸化還元系との存在下に分子状酸素を用いてエチレンを酸化する方法において、その酸化反応は室温または上昇された温度と大気圧または上昇された圧力の下でカルボキシレートのイオンと少量の水とを含むカルボン酸の中で行ない、これによつてカルボン酸の飽和エステルおよび不飽和エステムを得ることを特徴とするエチレンの酸化方法。
三 本件審決の理由の要点
別紙記載のとおり。
四 本件審決を取り消すべき事由
本件審決は、本件出願に優先権の存在を認めなかつた点において、判断を誤つた違法があり、取り消されるべきである。すなわち、第一項記載のイギリス国における特許願の各仮明細書には、本願発明の要旨が明確に示されており、殊に本件審決が、第一の発明における「アルフアーオレフイン」、第二の発明における出発物質としての「オレフイン」には、いずれも本願発明のエチレンは含まれないとしたのは誤つている。
一般に明細書において発明を説明するにあたり、まず関連ある先行技術について述べ、これと当該発明との技術上の差異を対比しながら説明するのが慣習である。この場合に、先行技術の説明に用いた用語は、その明細書中では同一概念で当該発明の説明に用いるのであり、異なる概念で用いる場合には、その用語の概念を改めて定義するのが普通である。
オレフイン類はエチレンを包含する概念であることは、技術用語上疑がない。「アルフアーオレフイン」の語は、オレフイン類のうちで隣接する炭素原子と炭素原子との間の二重結合がオレフイン分子の末端炭素原子とその隣の炭素原子との間にあるような一群のオレフイン類を表示する用語である。エチレンは二個の炭素原子を有するオレフインであり、この二個の炭素原子の間には二重結合が存在する分子構造を有するものであるが、これら二個の炭素原子はそれぞれ末端炭素原子であると考えると、エチレンを最も簡単なアルフアーオレフインとみることもできる。そして、「アルフアーオレフイン」がエチレンを包含する意味内容で用いられることは、前記仮明細書が英国特許庁に提出される前にも行なわれたことがあり、このことは本件審決も認めるところであるから、「アルフアーオレフイン」という用語はエチレンを包含する意味内容をもつと解することは、従来の化学常識から容認できないことではない。
一九六〇年英国特許願第三三二八五号の仮明細書(甲第三号証)の発明方法は、原料としてアルフアーオレフインを用いる方法であることは、同書二頁一六行ないし二二行の記載から明らかである。その直前に記載された先行技術の説明には、「エチレンを酸化してアセトアルデヒドを生成できるが、それよりも高級なアルフアーオレフイン類に酸化してケトン類を生成できる」(二頁七、八行)という記載と、「エチレンよりも高級な一つのアルフアーオレフイン」(二頁一〇行)という記載がある。これらの記載では、「エチレン」と「それよりも高級なアルフアーオレフイン」とが並列して記載されている。ここで「よりも高級な」という用語は、同族の化合物群のうちの各員の化合物を比較するに際し、その分子内の炭素原子が「より多い」という表現であり、化学文献に多用される表現である。したがつて、同書二頁七行ないし一〇行の説明で、「エチレン」と「それより高級なアルフアーオレフイン」とを並列して記載してあることは、エチレンが同族のアルフアーオレフイン類のうちでの高級なものに比べて炭素数の少ない一員であることを示すから、同書二頁八行および一〇行の二個所に記載された「アルフアーオレフイン」の語は、エチレンを包含する意味内容をもつものである。同書二頁一八行の「アルフアーオレフイン」の語は、さきに二個所に記載された「アルフアーオレフイン」と同じ意味で用いられており、エチレンを包含するものであり、これは原料の表示として記載されたものであるから、発明方法にエチレンを原料として用いることは同書に示されているといわなければならない。
一九六一年英国特許願第一〇六八八号の仮明細書(甲第四号証)二頁二行に、先行技術の説明に関連して用いられた「エチレンのようなオレフイン類」という記載があり、これは「オレフイン類」という用語がエチレンを包含するという意味内容をもつものとして同書に用いられていることを示すものであり、同書二頁二七行ないし三頁三行の記載(別紙第三項(2)(イ))は、同書の発明方法の原料として「オレフイン類」を用いることを示すが、この「オレフイン類」の語もまたエチレンを包含する意味に解されなければならない。
甲第三号証中、被告が「アルフアーオレフイン」がエチレンを含まないことの根拠として指摘する部分(四頁一三行~一七行)は、全体の文脈をみて解釈すると、当該発明の一つの実施態様を表わしたものにすぎず、「アルフアーオレフイン」が二個より多い炭素原子を含むものに限定される趣旨の記載でないことは明らかであり、甲第四号証中、被告が当該発明方法の「オレフイン類」にエチレンが含まれないことの根拠として指摘する部分(三頁二四行~二九行)は、「例えば」の語からも明らかなように、当該発明で用いる「オレフイン類」の例示であるが、被告の主張にもかかわらず、「末端の位置に二重結合をもつ直鎖オレフイン類」は、その一員としてエチレンを包含することは明らかである。
右各仮明細書に記載された先行技術は、エチレンまたはそれよりも高級なアルフアーオレフイン類を酸化してアセトアルデヒドまたはケトンを製造するものであるが、当該発明の方法と使用原料がアルフアーオレフインであること、生起する反応がアルフアーオレフインの酸化であること、その他いくつかの技術構成の点で共通点を有し、この先行技術発展の一延長線上にあるものとして、先行技術との技術構成上の差異に焦点を合わせて対照させながら説明されているから、目的生成物が相違するだけで、先行技術の説明が当該発明の理解を助けることにならないとするのは妥当でない。
被告の答弁
被告指定代理人は、請求原因に対する答弁として、つぎのとおり述べた。
原告主張の請求原因事実中本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨および本件審決理由の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。本件審決の判断は正当であり、原告主張のような違法の点はない。すなわち、
パリ同盟条約第四条辛ただし書にいう「該構成部分ヲ明確ニ示」すとは、少なくとも本願発明の構成部分である「エチレンを出発物質としてエステルをつくること」を明確に示していなければならないところ、優先権証明書に添付された各仮明細書(甲第三、第四号証)には、このことが明確に示されていない。右各仮明細書の先行技術の説明の部分に、原告の主張にそうような記載もあるが、当該特許出願の発明方法の説明に関する部分には、単に「アルフアーオレフイン」、これをうけて「オレフイン類」または「一つのオレフイン」、「nーオクテンー一」、「プロピレン」が原料として使用できることは示されているが、エチレンが出発物質となることを明示したところはないばかりか、甲第三号証中には「したがつて、本発明の方法は、この酸化反応で導入される酸素が、末端にない炭素原子よりもむしろ末端の炭素原子に結合されるようにして、二個よりも多い炭素原子を含むオレフインの酸化を行なう一つの手段を提供する。」(四頁一三行~一七行)旨の記載があり、当該発明の出発物質としての「アルフアーオレフイン」という概念がエチレンを包含しないことは明らかであり、また甲第四号証中には、当該発明で原料として用いるオレフイン類について、「使用できる広範囲のオレフイン類には、例えば(以下別紙第三項(2)(ハ)記載のとおり)……とがある。」(三頁二四行~二九行)と記載されているが、この中にオレフイン類とエチレンがないことは、先行技術の説明で用いた「オレフイン類」とは異なることを示したものにほかならず、したがつて、同書二頁二九行に当該発明において原料としてオレフインを用いると記載されていても、エチレンは含まれないのである。
原告は、明細書中の用語は統一して解釈すべきであると主張するが、明細書中の当該発明につき用いた用語は、先行技術の説明に用いた用語と同じ意味にしか用いることができないというものではなく、先行技術の説明はあくまでも当該発明の理解を助けるための技術の背景として記載され、当該発明の範囲を規定するものではない。本件出願の前後に出版された化学の汎用の辞典には、「アルフアーオレフイン類」の定義は見当たらない。しかも、昭和三五年に特許出願公告されたものの中には、「アルフアーオレフイン」はエチレンを包含しないことを明示するものさえある。普遍的な定義がない以上、その意義は技術ごとに(厳密には発明ごとに)定め、解釈しなければならない。前記各仮明細書においては、先行技術はアルデヒドやケトンを製造するものであり、当該発明はエステルを製造するもので、目的生成物を異にするから、先行技術の説明における「アルフアーオレフイン」の語の意味するところは、当該発明の説明における「アルフアーオレフイン」の語の解釈を助けることにはならない。
本件審決理由の要点
一 本願発明の要旨
請求の原因第二項記載のとおり。
二 拒絶査定の理由
拒絶査定の理由は、「この出願の発明は、その出願前の出願に係る特許第四九六二一四号(特願昭三六ー一八七六五号、特公昭四〇ー一一三六七号)の発明と同一であるから、特許法第三九条第一項の規定により特許を受けることができないものと認める。」というにあり、追書として大要つぎのように記載されている。
本願の優先権証明書には、本願発明の要旨であるエチレンおよび分子状酸素とカルボキシレートのイオンからエステルを製造する方法が具体的に明示されているものとは認められないので、本願の優先権の主張は認めることができない。そして、先に引用した本願の先願発明には、塩化パラジウム、銅塩、酢酸アルカリ塩の存在下に酢酸,エチレンおよび酸素を反応させて酢酸ビニルを製造する方法が記載されており、本願の塩化パラジウム等のバラジウム塩、銅塩等の酸化還元系、酢酸アルカリ等のカルボキシレートのイオンの存在下にカルボン酸中でエチレン、酸素を反応させるカルボン酸のビニルエステルを得る方法と先に引用した本願の先願発明との間に差異は認められない。
三 優先権の存否
(1)一九六〇年出願の発明の内容
一九六〇年九月二八日英国に出願された一九六〇年特許願第三三二八五号出願の仮明細書には、
(イ)本発明によれば、カルボン酸および反応を促進するために十分な量のイオン化することができるカルボン酸塩の存在のもとに、アルフアーオレフインと錯化合物を形成することができる金属(なるべくなら貴金属)の塩とアルフアーオレフインとを接触する段階からなるエステル類の製造方法が提供される(二頁一六行~二二行)、
(ロ)本方法は、二個より多い炭素原子を含有するオレフインの酸化を遂行する手段を提供する(四頁一三行~一五行)、
(ハ)本発明の方法の一具体化においては、酢酸ナトリウムを含有する氷酢酸中に溶解された塩化第一パラジウムとともにnーオクテンー一がかきまぜられる(二頁二三行~二五行)、
(ニ)この点は、塩化第一パラジウム触媒を使つて酸素でプロピレンを酸化することを参照して説明されることができる(四頁二〇行~二二行)、
と記載されている。
この記載によれば、この英国特許出願に係る発明において、出発物質として使用されるアルフアーオレフインがエチレン(すなわち二個の炭素原子を有するオレフイン)を包含する概念であることは、全く記載されていない(もつとも、この仮明細書の二頁二行~一五行には、オレフインの酸化の例としてエチレンの酸化も記載されているが、それは先行技術として引用されたものであるから、この英国特許出願に係る発明とは別異のものである。)。
(2)一九六一年出願の発明の内容
一九六一年三月二三日英国に出願された一九六一年特許願第一〇六八八号出願の仮明細書には、
(イ)このようにして、本発明によれば、カルボン酸とイオン化することができるカルボン酸塩とカルボン酸以外の極性有機溶剤の存在のもとに、オレフインと錯化合物を形成することができる金属(なるべくなら貴金属)の塩とオレフインとを接触する段階からなるエステル類の製造方法が提供される(二頁二七行~三頁三行)、
(ロ)この発明の方法によつて得られる利益の例として、酢酸ナトリウムを含有する氷酢酸中に溶解された塩化第一パラジウムとnーオクテンー一とが反応させられた(三頁七行~九行)、
(ハ)この方法が一種のアルフアーオレフインを参照して記述されたが、この出願はこの仕方に限定されるものではない。使用されることができる広範囲のオレフイン類は、例えば末端の位置あるいは末端でない位置に二重結合をもつ直鎖状オレフイン類、分岐鎖状オレフイン類、アリール基類とハロゲン類原子のような置換基を含有するオレフイン類、シクロヘキセンのような環状オレフイン類および一個より多くの二重結合を含むオレフイン類を包含する(三頁二三行~二九行)、
と記載されている。
そして、この仮明細書による出願に係る発明において、エチレンを出発物質とするということは、この仮明細書には記載されていない(なお、この仮明細書の二頁二行~二三行には、エチレンのようなオレフイン類の酸化について記載されているが、その部分の記載事項は先行技術に関するものであるから、この英国特許出願に係る発明とは別異のものである。)。
(3)その他の事実
(イ)カナダ国特許第六九五五七五号明細書二頁一二、一三行には、「二~一二個の炭素原子を含有するアルフアーモノオレフイン炭化水素類」と記載され、同頁一五、一六行には、「ポリエチレンのようなポリーアルフアーオレフイン類」と記載されている。
(ロ)英国特許第九八二九一六号の完全明細書二頁一三行には、「二~一〇個の炭素原子をもつオレフイン類」と記載され、同頁一四行~一六行には、「二~四個のC原子と一つの二重結合をもつアルフアーオレフイン類、例えばエチレン、プロピレン」と記載されている。
(ハ)英国特許第八二四四五四号の完全明細書三頁七、八行には、「エチレンとプロピレンは好適なオレフイン類である」と記載され、同頁一一、一二行には、「二~五個の炭素原子をもつアルフアーオレフイン類」と記載されている。
(4)判断
(イ)一九六〇年英国特許願第三三二八五号の仮明細書の記載では、その出願に係る発明におけるアルフアーオレフインという概念がエチレンを包含しないことは、該明細書全体の記載、とくに四頁一三行~一五行の記載から明瞭に看取される。
(ロ)一九六一年英国特許願第一〇六八八号の発明において、出発物質としてエチレンを使用した場合にその発明の目的を達成することができるかどうかはさておき、出発物質としてエチレンを使用することができるという記載が該出願の仮明細書にないことは前示認定のとおりである。したがつて、該仮明細書には、エチレンを出発物質とする本願発明の構成部分が、工業所有権保護に関するパリ同盟条約四条辛ただし書にいうところの明確に示されていたとは認められない。
(ハ)カナダ国特許第六九五五七五号明細書、英国特許第九八二九一六号完全明細書および英国特許第八二四四五四号完全明細書の記載は、エチレンがオレフイン類に属すること、およびエチレンをアルフアーオレフイン類に含めることがあることを示しているが、この事実があつても前記条約第四条辛ただし書の解釈を変更するに至らない。
(ニ)したがつて、本願について前記条約に規定する優先権の存在を認めない原審の判断は、正当なものである。
四 発明の同一性
原査定の理由中に引用された特許第四九六二一四号発明の要旨は、「(a)二塩化パラジウムと(b)塩化第二銅および(または)酢酸第二銅と(c)酢酸アルカリ塩の存在下に、無水または少量の水を含む液状または蒸気状の酢酸とエチレンと分子状酸素とを、室温またはそれ以上の温度と常圧またはそれ以上の圧力のもので反応させることを特徴とする酢酸ビニルの製造方法。」と認められる。
これを本願発明と対比すると、
(イ)両発明において、出発物質の一つとしてエチレンを使用し、反応剤として分子状酸素を使用し、室温またはそれより高い温度と常圧またはそれより高い圧力のもとで反応させる点が一致していることは、一見して明白である。
(ロ)本願発明におけるカルボン酸が酢酸を包含し、カルボキシレートが酢酸アルカリ塩を包含することは、明細書の発明の詳細な説明の記載から明白であるから、この点において本願発明と前記特許発明とは実質的に一致している。
(ハ)本願発明の生成物であるカルボン酸の飽和エステルおよび不飽和エステルという概念が酢酸ビニルを包含していることは、同じく発明の詳細な説明の記載に照らして疑う余地がないから、目的生成物の点でも本願発明と前記特許発明との間に実質上の差異は認められない。
(ニ)前記特許発明における二塩化パラジウムが水に可溶性であることは、当業者に周知の事実であるし、本願発明におけるパラジウム塩を含む可溶性触媒が二塩化パラジウムを排除する概念であると認めるに足る根拠もないから、触媒の点においても両発明は実質的に区別することができない。
(ホ)本願発明でいうところの酸化還元系には塩化第二銅および酢酸第二銅も包含されることは、出願当初の明細書二頁一二行~三頁一行の記載によつて、あるいは昭和四二年七月三一日付全文補正明細書二頁七行~一六行の記載から明確であつた。その後、明細書が補正されたけれども、特許請求の範囲の記載では酸化還元系に何も限定条件が付されていないから、前記の認定は変更する必要は認めない。なお、本願出願の当時の技術水準の例として、一九六一年英国特許願第一〇六六八号の仮明細書中に,先行技術の説明として「酸化還元系は、用いられる反応条件下において酸化の一より多い段階に存在することができる金属化合物、例えば銅および鉄の化合物である」(二頁四行~六行)旨が記載されていることからみても銅の化合物である塩化第二銅と酢酸第二銅が酸化還元系に属することは明白である。したがつて、本願発明でいうところの酸化還元系が先願発明の塩化第二銅あるいは酢酸第二銅と格別異なるものとは認められない。
(ヘ)以上のとおりであるから、本願発明と先願発明との間には、格別の差異があるとは認められない。